仮想通貨の世界に、奇妙な男がいる。
ジャンカルロ・デヴァジーニ。1964年、イタリア・トリノ生まれ。ミラノ大学医学部を卒業した元形成外科医は、2年で白衣を脱ぎ、IT部品の売買に転じ、やがて暗号通貨の世界へ辿り着いた。いまやテザー社の会長として発行済株式の約45%(推定)を保有し、フォーブス誌推計の純資産は900億ドルに近い。しかし、彼は公の場にはほとんど姿を現さない。もちろんSNSとも無縁である。表に出るのはCEOのパオロ・アルドイーノだが、重要な方針の多くは表に出ないデヴァジーニが下しているとみられている。
テザー社が運営するUSDTは、世界最大手のステーブルコインである。発行済みトークンは1870億ドル相当(2025年末現在)。ユーザーが1ドルを預けると、テザーは1USDTを発行する。その価値の主たる裏付けは米短期債である。シンプルな仕組みだが、驚くべきことに年間100億ドルを超える運用益を生んでいるとされる。従業員わずか100人余りで、である。
同社が利益を積み上げながら粛々と買い続けているのは、金現物である。スイスのリファイナリー等から直接買い付け、冷戦時代に核攻撃に備えて建設されたというアルプス山中の要塞(核シェルター)へ運んでいるという。月間最大10億ドル分。アルドイーノはその場所を「ジェームズ・ボンドの世界のような場所」と表現している。
テザー社の金保有量は2026年年頭で約140トン、年央で146トン強に達した。ギリシャ、カタール、オーストラリアといった国々の中央銀行を軽く上回る規模である。カナダの大手銀行・スコシアバンクはこの購買行動を「公的セクターに準じた需要」と分類したとされる。中央銀行と同列に置かれた、民間の暗号通貨会社の話である。
それにしても、なぜいま金なのか。アルドイーノはこう語っている。「通貨制度への信頼が揺らぐ時代に、曖昧さを取り除くために金は存在する。」
デジタルの極致にいる者たちが、最も古い資産をアルプス山中に積み上げている。グリーンスパンが語った通り、金は常に受け入れられる。
